余白の粋、野暮からの卒業

こんにちは、株式会社いちたすの大窪由衣です。

頭の中に浮かんでは消えて行く、言葉にもならなかった、まるで水泡の様な。
透明で、触れもしなかったもの達に、時々名前や言葉を与えてみようと思い、誰の為でもなくブログを書いていこうと思います。

脈絡も何もありません、ご容赦下さいませ。

現在、隔月に1度位の頻度で東洋思想の先生に来ていただいて何千年も続く人類の叡智について学んでいます。

そういうととても怪しいのですが、
私の感覚的には昔の人達の、季節と共に生きる知恵や粋、ロマンを学んでいるつもりでおります。

例えば二十四節気、七十二候に関する、婦人画報の季節感満載の素敵記事のページをめくる時のようなときめきを感じながら…

この先生はクラブハウスなどもされていて、時間が合えば必ず拝聴しているのですが、毎回新しい発見があります。

なぜ必ず拝聴しているかと言うと、
私と先生は同じ講座という時間を共有していても、共にお酒を飲んでいても、同じ現象を体験しても、違う世界にいるかの様に、結構肌感覚が異なると思うからです。

だからこそ、リスペクトが生まれるのですが…

ここで言う、肌感覚とは何かが心に触れた時の感覚で、例えば美しい物であったり、壮大なロマンであったり、時には憎悪や嫌悪の場合も含めてです。

先生は私とは異なります。

それがとても面白い。

そういえば、身近な人でも肌感覚に関しては父とも異なっていた様に思います。

私が落ち込んでいて、思考の沼に沈んで行く時、お前は考え過ぎなんだと嗜めてくれます。

考え過ぎだ。

その一言だけ。とてもシンプル。
ですが、その言葉は父の人の良さ、心の明るさに裏打ちされた温かくて優しい言葉。

決して、煩わしいからそれ以上話してくれるなという自分のための言葉ではない。
本当の優しさがその一言だけでも感じられます。

私には到底真似の出来ない、慰め方。
優しさの表し方。

例えば、美しい物を見ても
まさに筆舌に尽くし難い、という様に表情や空気だけで表現する人が居る。

そして、感じる心地良い余白。

私には無い物だとしみじみと思い、
とても素敵だと感じます。

言葉に表せない物事のすごさ、そのことを言葉で表現した【筆舌に尽くし難い】と言う言葉そのものを生み出す事自体に、個人的にはわくわくしますが、そうじゃない人も居る。
それが今になってからようやく心地良く感じられるように変わり、色んな出会いにときめきを覚える様になりました。
※ですが、まだまだ野暮な私からは卒業出来そうにありません。

色んな人と交わると、
一層頭の中の透明な水泡達が浮かんでは消えていきます。

最近、沸騰した水の様に色んな事を感じるので一部の透明な水泡を言葉にしてみました。

起承転結も何も無い、
この様な記事を最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら深くお礼を申し上げます。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。

株式会社 いちたす
大窪 由衣

この記事についてのお問い合わせは
info@ichitasu.co.jp

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